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温室地球
 
温室地球
(財)日本システム開発研究所
老松和俊さん

老松和俊さまプロフィール

老松和俊さまは、公益法人のシンクタンクである(財)日本システム開発研究所において、環境保全や資源・エネルギーの研究開発業務に従事され、現在、研究部の主席研究員として、我が国の新エネルギー普及促進、地球温暖化対策の中長期目標に係る政策立案業務に取り組まれています。

 

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老松さまメッセージ

 恥ずかしながら、私の年間読書本数はゼロです(マンガ、雑誌等の類は除く)。そんな私が中学生の頃初めて買った新書がなぜか1970年代にちょっとしたブームになった「惑星直列(1974)」という翻訳本です。ノストラダムスの大予言と同類のいわゆる“予言本”です。1982年に起こるとされた太陽系の惑星直列を題材にした“天変地異が起き、人類の多くは絶滅する”といった内容のSFスペクタクルものですが、当然のことながら何も起こりませんでした。別にこの本自体は、だからどうということはありません。

 実は、この本にはシリーズ第2弾がありました。出版社が二匹目のドジョウを狙った、またもや予言本です。その題名は、「温室地球」。今だとちょっと違和感のあるこの表題、なぜかこの翻訳本も買いました。詳しい内容はもちろん覚えていません、ですが不思議と表題だけは頭にこびり付いていました。環境問題の告発本としては、レイチェル・カーソンの「沈黙の春(1962)」が有名ですが、この「温室地球」はシリーズ自体が眉唾物でしたので、単なるフィクションとして日の目を見ることもなく、いまやインターネットで探しても、その痕跡すら見つからない代物となってしまっています。世の中“地球寒冷化”が定説だった時代の真っ直中、1970年代に地球温暖化問題に対する警鐘本が出版されていたという驚きの事実もさることながら、それをたまたま手にしてしまった運命の恐ろしさに気づくのは、それから10年以上も経ってのことでした。

 いまや環境問題の代名詞となってしまった地球温暖化問題。1980年代に“地球寒冷化”から“地球温暖化”へ科学的な認識が移行し、1980年代の終わりには、実はそれが人類の生存基盤に重大な悪影響を及ぼす恐れがあると騒がれ始め、国際的な環境問題としてクローズアップされたのは1990年代に入ってのことでした。1992年、国連において「気候変動枠組条約」が採択され、先進国において本格的な温室効果ガスの削減に向けた取り組みが始まりましたが、その2年前の1990年、当時の環境庁から委託を受けた運輸部門におけるCO2削減対策の調査が、私の地球温暖化問題に関わるきっかけでした。「温室地球」から10年以上経てシンクタンクという業種に就き、主にエネルギー問題、大気汚染問題を中心に政策研究に取り組み、その流れであらゆる分野の地球温暖化問題を取り扱うようになって20年が経ちましたが、地球温暖化対策は、まさに、絶望感との戦いでした。人類進化の集大成として、文明に課せられた最大にして最後の驚異が“地球温暖化”です。核戦争でも、宇宙人の襲来でも、巨大隕石の衝突でもありません。何せ既に種を蒔いてしまっているのですから。それだけの驚異を20年やそこらの取り組みで解決しようなんて、それこそ、人類の驕りなのかもしれません。

 我が国では、60%を超える国民が環境問題などの社会問題は、科学技術の発展によって解決されると見ているとの世論調査結果がありました。なんとなく人任せで無責任な結果に見られがちですが、あながち間違った判断だとは思っていません。なぜなら、誠に情けなく大変申し訳ない話ですが、今の世代は地球温暖化問題を解決するだけの手段を持ち合わせていないからです。今の世代があらゆる努力を費やしても地球温暖化問題を解決することはできません。残念ながら、今の世代は次の世代によりよい地球環境を残すことはできないということです。そしてバトンタッチされる方はたまったものではありませんが、次の世代においても解決は難しいでしょう。

 しかしながら、今、何もしなければ環境の悪化を加速するだけです。環境が悪化するスピードをほんの僅かながら減速させる、今の世代にできることはここまでです。悪化をくい止めることも、そしてその先の改善に向わせることもできません。それでは、国をあげてエコだCO2削減目標だなどと必死になっているのにはどのような意味があるのでしょうか。

 それは、いつの日か、必ずや人類の手によって地球の環境の悪化が止まり改善に転じる日が来ることを信じ、どうにかその時まで生命の生存基盤が存続されるよう、その世代までつながるよう、少なくともそのことに気がついた世代ができる希望と願いを込めた精一杯の謝罪ではないか、私はそう解釈しています。

 


投稿 : (財)日本システム開発研究所 老松和俊さん
2010/09/02 11:09:00